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「混沌故の不安、まさに原石の輝き」
〜キレイにまとまるなんてクソクラエ的な価値〜
レイナロヴィッツは不思議なバンドだ。多くのバンドが一般的なバンドサウンドを指向し、自分達の形をシンプルにすることによっていわゆる「売り」を形作る。そういう試みは非常に大切な作業だといえる。つまり宝石でいえば「磨き・カット」にあたる作業なのである。どんなに価値のある宝石も、泥がついたままの状態で人々の目を向かせることなど出来ず、だからカットをするわけで、バンドもまた、自分達の価値を追求し、洗練するということは成功する上で欠かせない作業になっていく。
だが、このカットを施していく過程で、実は自分達は宝石などではなくただの石に過ぎなかったんだということに気がつくのである。幸運にも宝石だったことが判明したとしても、原石の時にはあんなに大粒だったのに、カットして使える部分は驚くほど小さかったとか。バンドの場合でいえば、「ああ、あるよね」「どこかで聴いたこと有りそうな音だね」という感想に落ち着くバンドになるケースだ。すなわち、「上手いけど、欠点はないけど、買いたいとは思わない」と言われてしまうバンドになってしまうのだ。
そういうバンドが、実は多い、というかほとんどがそうだと言っても過言ではない。だからこそ、レイナロヴィッツの驚きは新鮮だったのだ。
極端に言ってしまえば、パッとしないのである。これはバンドにとって致命的なことを言ってるよ大島さんと言われそうだが、事実なのだから仕方がない。だがその「パッとしない」というのは、決してつまらないとかいう種類のものではないのだ。そうではなくて、目や耳をどこに集中させればいいのか判らないという種類のものである。見るべきところ、聴くべきところというのは沢山あって、だから実に楽しい音楽になっているのは間違いないのだ。なのにパッとしないというのは、端的に言えば洗練されていないのかもしれない。本人達の中にもやりたいこと、表現したいことが山ほどあって、それらをテンコ盛りに詰め込んだアルバムが完成したといえる。だからある意味これまでのレイナロヴィッツというものを余すところ無く形にしたのである。だからこれまでのレイナロヴィッツを追ってきた人にとっては歴史を感じさせるようなアルバムだと言っていいのだろう。
だが、やりたいこととやるべきことというのは別のことであって、成功のためには「やるべきこと」を明確にし、自分達のカラーを出していかなければいけない。それが洗練であり、宝石でいうところのカットなのである。そしてこのアルバムでは、幸か不幸かその作業は出来ていない。ここで僕が「幸か不幸か」という表現を使っているのは、あながちマイナスばかりではないと思っているからなのである。もちろん店頭に出すためには、ブリリアントカットなんかがされているに超したことはないだろう。だがそうやって「形」にするのは、逆にいえばいつでも出来ることなのである。断言するが、彼らの音楽活動が続いていくのであれば、それが洗練された形で大きく化けるのは間違いない。その可能性を十二分に秘めた素質はこのアルバムですでに感じられる。しかもカット後の大きさが著しく小さくなってしまう凡百のバンド達とはちょっと違い、この原石はかなり大きな核を持っているんじゃないかなと思わせるような、そんな雰囲気に満ちている。今はその雰囲気に頼るしかないということなのかもしれない。だが、完成されて、つまりは完璧なメイクアップを施したモデルさんの「美しさ」を見て「あたりまえ」と思うような体験にはもう慣れ過ぎて飽き飽きしている部分が僕らの中には確実にあって、だからスッピンの方が意外性もある驚きを持ちうるのである。ただし、じゃあ誰のスッピンでもいいのかというとそんなことはなく、ああ、この人のスッピンはその段階でかなり美しく、これをちゃんとメイクしたらどれだけキレイになってしまうんだろうという、そういう予想ができる人のスッピンでなければならないのである。レイナロヴィッツの音楽というのは、現時点ではそういうスッピンなのだろうと感じるのである。だから、もっとメイクしたら良かったのにという気持ちは一面であるのも否定しない。だが、メイクをした状態でなんとか見られるし、そのメイクを落としたらちょっと酷いかもなというメイク顔よりも、レイナロヴィッツのメイク前の方がよほどいいと思うし、そういうものが世の中に出てくる機会がほとんどないということを考えれば、実はこのアルバムの希少性というものが理解されるはずなのである。
キラキラレコード、大島栄二
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