|
「純ポップ」
〜新たなる脱皮と本音〜真の『栄光への船出』〜
STONE FREEのこのアルバムは2ndアルバムだ。1stは2年前のリリースである。この間、STONE
FREEのメンバーは苦悩し、猜疑し、停滞していたと思う。どういうことかというと、CDが出たのはいい。バンドにとって初めての経験だから純粋に嬉しい。それはそうだろう。しかし、では嬉しがっているだけで簡単に売れるかというとそんなことはない。そう思っていたら甘い。新人バンドがやらないといけないことはたくさんあるのだ。
たくさんあるといって混乱するのが普通のケースだ。なぜなら、新人バンドの夢は大きい。夢が広がるから遠くの憧憬は迫ってくるが、じゃあ実際にそれが手に入るかというとそうではない。そのギャップに混乱する。僕はそういう彼らに向って「足元のことを確実にやろう」と言う。それによって実現するのはまず最初の500枚、そして1000枚というセールスだ。その規模ではランキングなんかとは無縁である。だが、その規模を克服しないことにはその先の大きな人気は得られるはずもないのだ。
しかしそう言うと、多くのバンドマンは失望する。2年前の彼らもそうだった。もっと上手い話はないのか。そうやって思いは怪し気な業界人の噂には向かうが、ファン1人1人には向かわなくなる。結果足元の努力が疎かになり、人気上昇などとは程遠い結果につながってしまう。
中でももっとも大きな問題は、音楽に向かうエネルギーの減退である。それではお客さんを満足させる新曲は生まれない。仮にそれで業界人との接点を作ることができ、大きな露出を果たしたとしても、お客さんの心を動かすことは叶わないし、露出によるチャンスを活かすことも出来なくなるのだ。
STONE FREEの3人は、1stの頃からずっと3人で同じ家で生活をしている。非常に密なコミュニケーションの中でいろいろと考え、討論したのだろう。1stの頃には地味な戦略ばかり言う僕のことにうんざりし、疑問を抱き、否定もしただろう。そのことは不思議ではないし、彼らを嫌いになったりはしない。問題は彼ら自身であり、自らの方向をどう決めていくのかが大切なことなのである。
そして彼らはなにかを吹っ切った。そして2ndアルバムのリリースに向けて再びキラキラと話を持った。その時に感じたのは、彼らが本気になったということだ。持ってきた新曲は、1stと同じくポップな楽曲たちだった。しかし何かが決定的に違っている。それが何なのかは聴く人たち1人1人の判断に委ねたいけれども、僕なりの感想を言うならば、疑念のない純ポップということである。彼らの音楽はポップ色が非常に強いものである。だがその純ポップも、1stの頃には構えている感じがあった。自分たちに無いものまでも出そうとした、一種の上げ底感があった。まあそれ自体は悪いことではない。お見合いの席に
Tシャツで行くバカはいないように、最初のCDで全てを曝け出す必要などは無い。精一杯着飾っても構わないのだ。
でも虚飾はいずれ暴かれる。本当に大切なのは、Tシャツ姿でも溢れる魅力である。それを出すには自分自身を誇れるなにかがなければならない。特に彼らのような純粋なポップミュージックにはそれが必要である。2年前の状況から、本当に大切なものに気付き、そして誇れる何かをつかみ、それを表現出来る楽曲を作っていくのに2年という歳月がかかったのだとしたら、それは決して長いブランクなどではなく、むしろ必要な脱皮期間だったのだと思うのである。
そういう意味で、これは彼らにとっても記念すべきアルバムになったのだと思うし、だからこそ彼らも自信を持ってファンに買ってもらえるのだろう。その彼らの努力は徐々に実を結び、着実にセールスを伸ばすという結果につながっている。大ヒットというにはまだまだ先は長いが、この足元の1枚1枚の積み重ね以外にそこへの道は無いのだし、このアルバムの力があれば、限りなくそこへ近付いていくだろうと期待出来るのである。奇しくも1stアルバムに収録されていた『栄光への船出』が今やっと始まったような、そういう思いがしてならないのだ。
キラキラレコード、大島栄二
|